毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ちの夫婦による子育て日記です。

父と私の話

 

私が生まれてから小学校へ上がるくらいまでの間、父の仕事が忙しかったのもあって、幼い頃の父との思い出はあまりありません。

 

なんせ、平日はほぼ会わないし、休日は2階の部屋で寝ていて晩ご飯の時くらいしか顔を合わせない状態でした。

 

私は覚えていないのですが、2歳ぐらいの頃、たまたま朝、仕事に行く父に会った時に

「おじちゃんバイバーイ、また遊びに来てね!」

と言ったそうです(笑)。

 

それぐらい距離のある親子関係な上、物心ついてからは、顔を合わせる度に怒られていました。

 

怒られる内容としては

  • 妹(次女M)へのおもいやりが足りない
  • 食べる時に食べかすを落とし過ぎる
  • しゃべってばかりいて人の話を聞いていない
  • 車酔いがひどいため、そのせいで家族での遠出がしにくい

などなどです。これを祖父がいないスキを狙って延々と言われていました。

 

引っ越して祖父母と離れてからはあからさまにひどくなり、毎日のように怒られていました。

勉強に関しても「100点を取れて当たり前」という考え方なので怒られることはあっても褒められることはありません。

 

中学の歴史のテストで92点を取り、学年1位を取った時もかけられたことばは

「あと8点が何で取れないんだ」

でした。

 

祖父が暴力を振るう人だったのと、職業柄、虐待などに詳しいのもあって暴力を振るわれることはありませんでしたが、その代わりにされるのは食事や風呂を抜かれること。

 

夏場は異臭がすると周囲に感づかれる可能性があるため、風呂にはいれてもらえましたが、食事抜きは日常茶飯事です。

 

小学生の時の最長期間は日曜の晩~次の日曜のお昼までの7日間。

あの期間ほど給食に感謝したことはありません(笑)。

何が原因で怒られたのかもう覚えていないのですが、根負けした父が

「食べる前に何か言うことがあるやろうが!!」

と怒鳴ってきたのに対し、

「いただきます!」

とだけ言って食事を始めたのを覚えています←

 

高校に上がるまでは、お小遣いをほとんどもらっていなかったのもあって、食事抜きは辛かったですね…。

 

アルバイトは親に禁止されていましたが、有償ボランティアをしたり、年末年始の郵便局バイトをしたりして高校時代はお金を作っていたので、なんとか飢えることなく過ごすことができました。

 

余談ですが、「空腹」と「飢え」って本当に違います。

 

「空腹」はまだ我慢できるのですが「飢え」てくると本当に食べることしか考えられないようになります。

 

小学校時代に何度も「飢え」を体験したせいで、高校に上がって自分のお金で食べ物を用意できるようになるまで私はかなり意地汚い子供だったと思います。

 

盆や正月に親戚が集まった時など、子供の中で私一人ががっついて食べてしまったことも何度かあったので母方の祖母がその姿を見て

「この子はいつも理性的やのに食べ物だけはなんでこんなに目の色変わるんや」

と思っていたそうです。

 

中学生になる頃には、三女Nが自分のことはある程度自分でできるようになってきたため、次は家事が私に回ってくるように。

 

母が貧血気味となまけ癖で家事をおろそかにするツケが全て私に回ってきました。

 

母大好きな父が言うのは

「お母さんはしんどいんやから全部お前がすべきや」

 

部活動に精を出していたため、体操服を洗ってもらえないのがツラく、結局私がするはめに。

 

なんだかんだと言いがかりをつけられ弁当も作ってもらえないため(私の行っていた中学は当時給食がありませんでした)、弁当も自分で作りついでに幼稚園児の三女Nの分も作っていました(詰めるのは母がやっていたため、Nは母が作っていると思っていたそう)。

 

ちなみにご飯作りもやらされていた時もあるのですが、盛り付けが下手くそなので、見た目からして不味そうと言われ、両親から褒められたことはもちろんありません。

 

小学5年生の時、ひとり留守番していると電話がかかってきて突然今日の晩ご飯を作れと言われた時に、肉野菜炒めとかき玉汁と浅漬けを作ったのですが、

「お母さんがかき玉汁嫌いなん知ってるやろ!」

と怒られました←

 

そんな理不尽な父親なので、話す時はいつも喧嘩になります。

最終的に怒鳴られて私が謝るまで正座させられたり食事抜きになるので今でも男性の怒鳴り声は苦手です。