母と私(そして父)の話③
前にも書きましたが母は貧血が酷く、専業主婦で家にいてもずっと寝ている日も多かったため、小学校高学年くらいから、どんどん私の家事負担が増えていきました。
洗濯や風呂掃除、食器洗いと片付けはやって当たり前、時には食事の用意も私の仕事でした。
持病があるとかだと、また事情も変わったのでしょうが、母方の祖母の話を聞くに、長年積もりに積もった偏った食生活からくる貧血や生理不順のようで、「しんどい」「なにもできへん」「寝かせて」などといわれても正直まったく母を思いやる気持ちがでてきませんでした。
母の主食はポテトチップスとチョコレートとコーラ。お腹がすくとごそごそと起き出してストックしてあるこれらを時間関係なく食べていました、祖母から聞いた話だともともと偏食で、高校生くらいからスナック菓子やジャンクフードを食べる頻度か劇的に増えたとのこと。就職してからも食生活は変わらずで、職場で貧血をおこして上司にタクシーで家まで送ってもらったことも1度や2度ではないそうです。
三女Nが卒乳してからはお酒を飲む量も増え、不摂生まっしぐら。買い物先のスーパーや図書館で倒れ。父がかけつけるということもありました。
その時、父に怒られるのはいつも私でした。
「なんでお母さんにこんなに無理させたんや!」
「妹見ながら、荷物を持つのはお前の仕事やろ」
反論でもしようものなら
「やって当たり前のこともできてへんのにえらそうに意見するな!」
と2時間以上正座で説教。当たらないよう加減はされていましたが、物が飛んでくることもありました。
お酒や缶コーヒー、ジュースなどは箱買いすることが多く、また図書館行くときも自分の借りた本はもちろん妹の本も私が持つのが当たり前で、両手いっぱいの荷物を抱えながら未就園児の妹Nと手をつなぐor抱っこしてたので(私が抱っこする前提なので抱っこ紐なんてありませんでした。てか抱っこ紐の存在すら当時は知らなかった)、大人である母の様子なんてみる余裕ありません、というかそもそもなんで小学生の私が母の面倒見なくちゃいけないんだって話なんですけどね。
ですが、父にとって一番大事なのは母であり、その母を少しでも苦しめる私はただただ憎い相手だったんだと思います。