毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ち(夫婦の)妻の子育て日記です。

食事と料理と私の話②

前回の話食事と料理と私の話① - 毒親育ちの子育て日記 nano's diary

 

 

「ご飯抜き」がとても効果的な罰だと父が気づいてしまったので、そこからはことあるごとに食事を抜かれるようになりました。

 

前にも書きましたが、最長は1週間。給食がなければやばかったですね。

「ご飯抜き」4日目ぐらいに、同じ登校班の1年生のお母さんに会った時、

「え、どうしたのAnnaちゃん!?なんかげっそりしてない?」と声をかけられその場で泣いてしまったこともありました。食事を与えてもらってないことを言うのは恥ずかしくて、体調が少し良くないとその場はごまかしたのですが、今思えばそこで言う勇気があれば現状を変えられたかもしれませんね。

 

中学にあがると、ちょうど三女Nが幼稚園に入園し、お弁当が必要になったので自分の分とNの分を作るようになりました。母が料理をすると野菜などが中途半端に残っていることが多かったので、冷蔵庫の中を見て食材を組み合わせるのが楽しかったです。茎の部分だけ使って葉だけ残っているセロリや、瓶にほんのちょっぴり残った鮭フレークやなめたけ、コップ1杯分も残っていない牛乳などを組み合わせて2人分のお弁当を作っていました。

次女Mとは2歳差なので中3の時にMが入学して全員弁当だったのですが、母が作るのを待っていると登校時間が遅くなるし、待っていても作ってもらえないこともあるので結局卒業間近まで、6時半までに私が自分と三女Nの分を作り、その後起きてきた母が次女Mの分を作るという奇妙な状況でした。ちなみに次女は「姉ちゃんの作った弁当とか絶対嫌」と言っていたので次女の弁当を私が作ることはありませんでした。