毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ち(夫婦の)妻の子育て日記です。

ストレス発散クッキーの話

料理作りに比べて、お菓子作りは工程が多かったり、材料が特殊だったり、計量が必要だったりが苦手なのであまりしません。

ですが、目分量で作れるクッキーやパウンドケーキはたまーに作ります。

土日バタバタしてちょっとストレス溜まってしまったので、ストレス発散のためクッキー大量生産しました。

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左からココア、プレーン、抹茶です。

家にあるもので作るのでバター不使用、卵も勿体ないので不使用です←

適当にガサッとたくさん作ってばくばく食べるのがストレス解消によいです(´ω`)

今日はほうじ茶と一緒に食べようかな。

食事とナノさんの昼寝

ナノさん2ヶ月くらいまでは、午後に2,3時間お昼寝をしてくれていたので、その間に晩ご飯の用意や常備菜を作ったりしていました。

妹Nが帰ってきたら仕上げをして配膳するだけにしていましたが、ナノさん3ヶ月に入ってから昼寝が激減しました。

ベビーベッドに降ろすと泣くので昼ご飯も片手で抱っこしながらチンしたおにぎりを食べるだけなんてこともざらです。

しかも私以外が抱っこしたり遊んだりすると泣くことが増え、妹Nにシッターをお願いできなくなってきました。

夕方40分程度でなんとか晩ご飯を作るようにしていますが、その間泣きまくるので妹Nが途方に暮れた顔で

「ナノさん泣き止まない…」

と連れてきます。

なので最近は煮物や炊飯器調理、切っただけの冷奴、ぬか漬けなどの多い我が家の食卓です(^ω^;)

冬の用意

ナノさんの冬支度その2です。

レギンスをアカチャンホンポとイオンで購入しました。

色々着まわせるようにシンプルなブラックとグレーです。

下着はコンビ肌着から徐々に被るタイプのロンパースに替えています。

プラスでカーターズの長袖ロンパース4枚セットを購入。

あとはジャンパースカートとかブルマとかをちょこちょこ用意していこうと思います。

父と私の話

 

私が生まれてから小学校へ上がるくらいまでの間、父の仕事が忙しかったのもあって、幼い頃の父との思い出はあまりありません。

 

なんせ、平日はほぼ会わないし、休日は2階の部屋で寝ていて晩ご飯の時くらいしか顔を合わせない状態でした。

 

私は覚えていないのですが、2歳ぐらいの頃、たまたま朝、仕事に行く父に会った時に

「おじちゃんバイバーイ、また遊びに来てね!」

と言ったそうです(笑)。

 

それぐらい距離のある親子関係な上、物心ついてからは、顔を合わせる度に怒られていました。

 

怒られる内容としては

  • 妹(次女M)へのおもいやりが足りない
  • 食べる時に食べかすを落とし過ぎる
  • しゃべってばかりいて人の話を聞いていない
  • 車酔いがひどいため、そのせいで家族での遠出がしにくい

などなどです。これを祖父がいないスキを狙って延々と言われていました。

 

引っ越して祖父母と離れてからはあからさまにひどくなり、毎日のように怒られていました。

勉強に関しても「100点を取れて当たり前」という考え方なので怒られることはあっても褒められることはありません。

 

中学の歴史のテストで92点を取り、学年1位を取った時もかけられたことばは

「あと8点が何で取れないんだ」

でした。

 

祖父が暴力を振るう人だったのと、職業柄、虐待などに詳しいのもあって暴力を振るわれることはありませんでしたが、その代わりにされるのは食事や風呂を抜かれること。

 

夏場は異臭がすると周囲に感づかれる可能性があるため、風呂にはいれてもらえましたが、食事抜きは日常茶飯事です。

 

小学生の時の最長期間は日曜の晩~次の日曜のお昼までの7日間。

あの期間ほど給食に感謝したことはありません(笑)。

何が原因で怒られたのかもう覚えていないのですが、根負けした父が

「食べる前に何か言うことがあるやろうが!!」

と怒鳴ってきたのに対し、

「いただきます!」

とだけ言って食事を始めたのを覚えています←

 

高校に上がるまでは、お小遣いをほとんどもらっていなかったのもあって、食事抜きは辛かったですね…。

 

アルバイトは親に禁止されていましたが、有償ボランティアをしたり、年末年始の郵便局バイトをしたりして高校時代はお金を作っていたので、なんとか飢えることなく過ごすことができました。

 

余談ですが、「空腹」と「飢え」って本当に違います。

 

「空腹」はまだ我慢できるのですが「飢え」てくると本当に食べることしか考えられないようになります。

 

小学校時代に何度も「飢え」を体験したせいで、高校に上がって自分のお金で食べ物を用意できるようになるまで私はかなり意地汚い子供だったと思います。

 

盆や正月に親戚が集まった時など、子供の中で私一人ががっついて食べてしまったことも何度かあったので母方の祖母がその姿を見て

「この子はいつも理性的やのに食べ物だけはなんでこんなに目の色変わるんや」

と思っていたそうです。

 

中学生になる頃には、三女Nが自分のことはある程度自分でできるようになってきたため、次は家事が私に回ってくるように。

 

母が貧血気味となまけ癖で家事をおろそかにするツケが全て私に回ってきました。

 

母大好きな父が言うのは

「お母さんはしんどいんやから全部お前がすべきや」

 

部活動に精を出していたため、体操服を洗ってもらえないのがツラく、結局私がするはめに。

 

なんだかんだと言いがかりをつけられ弁当も作ってもらえないため(私の行っていた中学は当時給食がありませんでした)、弁当も自分で作りついでに幼稚園児の三女Nの分も作っていました(詰めるのは母がやっていたため、Nは母が作っていると思っていたそう)。

 

ちなみにご飯作りもやらされていた時もあるのですが、盛り付けが下手くそなので、見た目からして不味そうと言われ、両親から褒められたことはもちろんありません。

 

小学5年生の時、ひとり留守番していると電話がかかってきて突然今日の晩ご飯を作れと言われた時に、肉野菜炒めとかき玉汁と浅漬けを作ったのですが、

「お母さんがかき玉汁嫌いなん知ってるやろ!」

と怒られました←

 

そんな理不尽な父親なので、話す時はいつも喧嘩になります。

最終的に怒鳴られて私が謝るまで正座させられたり食事抜きになるので今でも男性の怒鳴り声は苦手です。

朝ごはんの常備菜

ここ3ヵ月くらいの朝ごはん用常備菜一覧

  • 山椒とおじゃこの炊いたん
  • 梅じゃこ
  • 大根葉とおじゃこの炊いたん
  • 紅しょうが
  • 大葉みそ
  • ネギみそ
  • 肉みそ
  • 鶏そぼろ
  • なめ茸
  • なめ茸
  • ぬか漬け(きゅうり、大根、オクラ)
  • しば漬け
  • キュウリのキューちゃん風
  • キュウリの豆板醤炒め
  • 昆布の炊いたん
  • 卵黄のしょうゆ漬け
  • 鮭フレーク
  • 鯖(orつばす)フレーク

こんなもんかなぁ。そろそろネタ切れしてきました(笑)。

これ+たらこ、あじのり、自家製梅干しなどです。

そろそろキムチもつくろうかな。

 

ナノさんの覚え書き③

ナノさん生後100日時点です。

 

  • ハンドリガードが始まる
  • おもちゃをよく口に運んでいる
  • 背中スイッチの発動率がかなり高い
  • カンガルーケア状態や腕枕で入眠する
  • 昼寝時間が少なくなる(1日に2~3時間寝たら多い方)
  • うつ伏せで首がぐっと上がる
  • おもちゃを目の前で振ると取ろうとして手を伸ばす
  • 横抱きを嫌がり縦抱きを好む
  • 一人でベビーベッドに寝てるのを嫌がり人を呼ぶ
  • 家族以外に話しかけられるとニコッとした後そっぽを向く

だいぶ活動時間が長くなってきました。

お散歩をしないとなかなか寝てくれなくなったので、毎日たくさん歩いていてママはへとへとです(笑)。

 
 

祖父と私の話

 

祖母や父には厳しく暴力も出る祖父ですが、初孫である私にはとても優しいおじいちゃんでした。

 

夜間授乳が必要なくなった生後10か月頃から私の寝室は祖父と一緒になり、ご飯を食べさせるのもお風呂も寝かしつけも全部祖父。

 

幼稚園に入ると送り迎えはもちろん祖父でした。

 

自転車や竹馬、一輪車、縄跳びの練習もすべて祖父が付き合ってくれましたし、休みの日に遊びに連れて行ってくれるのもいつも祖父。

 

小学2年生の時、引っ越して祖父母と別居するまで私は、自分で体も髪も洗ったことがなかったですし、汚い話、トイレで自分で拭いたこともありませんでした。

 

恐ろしいほどに身の回りのことを祖父に甘やかされていたと知ったのは引っ越してからでした。

 

それまで私の身の回りのことは全て祖父がしていたのですが、引っ越してから両親が同じようにしてくれるはずがなく、体や髪の洗い方を知らぬまま一人でお風呂に入るようになりました。

 

それだけなら自分が努力すればいい話だったのですが、幼い頃に引き離され私とあまり接点がなかった両親とはそこから溝が埋まるどころかどんどん広がってしまったように思います。

 

怒られたことこそないですが、行儀作法などには厳しい祖父でしたので、箸の持ち方や言葉遣いなどは細かく指摘されて育ちました。

 

一人称は「わたし」以外は使ってはいけないと言われ(関西育ちなので周りは「ウチ」が多いのです(;^ω^))、語尾は「~な」ではなく「~ね」にしろと言われ、お辞儀する時は手は横ではなく前でそろえておくこと、大股で歩かない、大口を開けない、などなど…。

 

そのため、両親にしてみれば自分たちが言わずとも年齢相応のことは私ができて当然だったのでしょう。

 

祖父母と別居してから私ができないことに関しては

「なんでできないんだ」

と怒るばかりで、両親に教えてもらったことなんてありませんでした。

 

引っ越してから2か月で祖父が亡くなり、悲しいながらも祖母や両親がホッとした表情をしていたのが今も忘れられません。

 

私にとっては家族で唯一甘えられる存在であり大好きなおじいちゃんでした。