毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ち(夫婦の)妻の子育て日記です。

私は姉か母親か

 

私は三姉妹の長女です。

 

次女のMとは2歳差、末っ子のNとは9歳差です。

 

8歳までは父方の祖父母と同居していたのですが、色々あって祖父母とは別居。

 

なのでNが生まれた時は両親と姉妹の核家族で暮らしていました。

 

母は専業主婦ですし、洗濯や風呂掃除などの家事は出産時の入院の時から私がやっていたので、Nの世話に専念できるだろうと思っていたのですが、うちのメルヘン母に対してはその見解は甘かったです…。

 

げっぷを失敗したNを放って寝ている

首がすわってからのお風呂担当は私

食事中にNが泣き出しても母は放置なので私がオムツを替えたりあやしたりする

離乳食が始まると、おひたしを作ろうとしたらしきほうれん草を少量と百均の小さなすりこぎとすり鉢を渡される

はみがき?しあげはお姉ちゃ〜ん←

幼稚園のお弁当は私が自分の弁当作ったおかずの残り(詰めるのは母)

家族で買い物に行った時のチーム分けは

父、母、次女M

私、三女N

が通常装備(おかげでよく知らないおばちゃんに連れ子と間違えられて見当違いの同情されてました。)

 

実家にいる時はずっとこんな感じでしたね。

 

 

数少ない家族旅行の写真も、姉妹の3ショットなんてものはほとんどなく、ベビーカーに乗ったNとのツーショットばかり(笑)。

 

Mの赤ちゃん返りがひどかったのもあって両親はMばかり構っていたため、仕方ない面はあるのですが、Nにしてみたら物心ついた時から愛情不足は感じていたようです。

 

2歳くらいまではNが母を求めて泣き出してあやしている時、必死に私の胸をまさぐって

「ないー!!」

と泣くのが結構辛かったです(^ω^;)

 

Nを放ったらかしだった両親がもちろん悪いとは思ってるのですが、幼い思考の母にとっては、私がNを盗ったように感じた節もあるのかなぁとも思ったり。

げっぷの上手下手は赤ちゃん?それとも親?

うちのナノさんは生まれた時からげっぷがお上手でした。

 

トントンしようと縦抱きにするだけで

「けぷっ」

と可愛い声でげっぷしてくれるしいつ乳もほとんどなく。

赤ちゃんは胃の幽門が完成しきってないので、少し口から垂れるぐらいはありますが、げっぷに失敗して勢いよくいつ乳することは滅多にないです。

 

私には9歳離れた妹がいます。

 

妹が赤ちゃんの頃、ランドセル背負って家に帰るとギャン泣きする妹と布団に寝転んでいる母親が。

 

「おっぱい飲ませたんだけどげっぷ失敗して吐いちゃったー。お母さん疲れてミルク作れないしお姉ちゃん作って飲ませて」

 

とりあえずギャン泣きしてる妹を着替えさせ、抱っこして口を拭きつつ、お湯を沸かして哺乳瓶を煮沸し、一旦妹をベビーベッドに下ろしてミルクを調乳。

 

泣いてるとミルクが飲みにくく、また吐かれても大変なのであやして泣きやませてからミルクを飲ませてげっぷさせる。

 

そんなことを小学3年生の頃ランドセル背負ったままよくやってました(笑)。

 

妹はとにかくげっぷが下手だったように記憶しています。

しかし、私がミルクを飲ませた時にげっぷに失敗してた記憶はあまりないんですよね。

単に母親が下手だったのか?

 

退院してすぐの話~母の主食はキャベツ

出産して3日後には母乳がうっすら出始めていたのですが、退院して家に帰るとやはりホッとして気が緩んだのか、ガンガン母乳が出るようになりました。

 

おかげでナノさんもしっかり飲んで大きくなってくれるのは嬉しいのですが、

 

めっちゃ乳痛い。

 

入院中、看護師さんに

 

「お母さんも母乳よく出たの?じゃあよく出る家系なのねー。大丈夫!出ないより出た方がいいんだから少々痛くても大丈夫よ~」

と全然慰めにも何にもなってないお言葉をいただいたんですが、いやめっちゃ痛いんですけど。

 

ナノさんに飲んでもらってもすぐ張るし、あんまり搾乳すると分泌量が増えるとかいうし…。

 

赤ちゃんを見ているとオキシトシンというホルモンが分泌されて母乳が生産されるらしいので、旦那には

「お前はナノさん見るな!」

 

と無茶苦茶言われました(笑)。

 

特に痛くなるのが炭水化物を多めに食べてしまった時。

 

めっちゃお腹が空くので、どうしてもご飯をおかわりしてしまったり、間食したりしちゃってたんですが、炭水化物を食べると一気に乳が張ってくるんですよね。

 

さっき授乳したばかりなのにボトボト垂れてきて着替えるはめになることもしばしば。

 

さすがにこれは乳腺炎まっしぐらだと思い、私がとった策は

 

主食&間食をキャベツに置き換える

 

千切りにして軽く塩もみしたキャベツを大量につくって、食事の時は主食代わりに、その他の時間でお腹が空いた時はおやつ代わりに食べてました。

 

どうしても甘いものが食べたくなったときは、ココアを飲んだり、自家製赤しそシロップを水で割って飲んでましたね。

 

そのかいあって、母乳の過剰分泌は少しましに。

母乳が出にくい人にしてみたら贅沢な悩みなのかもしれませんが過剰分泌にも悩みはあります。

 

母乳って、飲みはじめより飲み終わりに近い方が濃厚で栄養も豊富なんですが、過剰分泌していると、濃厚な母乳になる前に赤ちゃんがお腹いっぱいになってしまうんですよね。

 

なのでしっかり量を飲んでいるにも関わらず、栄養が足りてなくてすぐお腹が空いてしまったり、尿ばかり増えて便秘になってしまったりするんです。

 

実際ナノさんは便秘になってしまったので、生後2週間で診察に行った時に綿棒浣腸を先生に教えてもらいました。

あまり泣かないナノさんですが、その代わりめっちゃうなってきばっていたので可哀想で…。

 

毎朝綿棒浣腸をするようになってからは、だいぶうなるのも減ったのでホッとしました。

 

しかし気を抜いて食パンとか食べたらすぐに乳が張ってくるので、ナノさんの胃腸のためにも頑張らねば…。

 

あと、キャベツ置き換えににしてもうひとつ効果があったのが産後ダイエットです。

 

退院時は51,75キロだったのが、1か月検診では47,75キロに!

 

悪露とかの影響やホルモンバランスもあるとはいえ、まさか3週間で4キロも痩せるとは思ってなかったので嬉しい誤算でした。

専業主婦の妊婦って孤独

つわりがツラい時期は本当に何もできず、なんとか食事の用意と洗濯だけ頑張ってあとは寝ている生活でした。

 

しかし、いざつわりがおさまってくるとすることがなく、暇を持て余す日々…。

 

高校を卒業してからはバイト三昧でしたし、新卒で就職した職場はなかなかのブラックだったので、外で全く働いていないというのが10年ぶりぐらいだったんですよね。

仕事に行けばいやでも同僚やお客さんと話すし、大学時代はキャンパスに行けば誰かしら知り合いに会えたので1日人と話さないなんてまずありません。

 

しかし専業主婦になってからは旦那以外と話す機会が全くと言っていいほどない。

 

下手したら1週間で話したのがスーパーの会計時にパートのおばちゃんとだけ…なんて時も!

 

だんだん気持ちが沈んできて自分でもこれはまずいと思ったので、友達や部活の先輩に連絡しまくりました。

 

幸い、中学の部活でバディだった親友が、ちょくちょく遊びに来てくれたり、婿入りして先輩パパになった大学の部活の先輩がこまめにlineで連絡をくれたので、孤独感に苛まれたのは2週間くらいで済みました。

 

私の場合はそういった人がいてくれたのでそこまで落ち込まずに済みましたが、やはり周りの友達は社会人で忙しい人の方が多く、また、自分が妊婦なので外で会うのも気を遣わせてしまったりとなかなか連絡が取りにくい場合の方が多いんじゃないかなーと思います。

 

自分が反対の立場だったら全然うれしいんですけどね。いざ連絡するってなると迷惑じゃないかな…と怖くなってしまいます(笑)。

つわりが始まった

つわりの前兆みたいなものは妊娠が発覚する前(週数でいうと3~4週目あたり)からありました。

 

職場にお弁当を持って行ってたのですが、蓋を開けた瞬間吐き気がしたり、朝、食事の用意をしている時も吐き気がしたり。

 

あと、別にそこまで好きではなかった納豆が無性に食べたくなって、仕事帰りの旦那に買ってきてもらってました。

 

妊娠発覚後も、引っ越しが一段落するまではそんな感じで、

 

「つわりってこれぐらいの感じなのかー。こんなもんなら楽勝だなぁ」

 

と思ってました。

 

読みがめちゃくちゃ甘かった。

 

引っ越しが落ち着いた後、本格的なつわりが始まりました。

 

まず食べ物のニオイが無理。お米炊くニオイとかまじ勘弁。

 

なので旦那の食事を作る時は必ずマスク装着。

 

寒いのがとても苦手なので、冬場はタートルネック+ネックウォーマーが基本装備なのですが、常に吐き気を催していて喉に何か当たるのが無理なので両方装着できず、寒さにより症状が悪化する。

 

温かい食べ物は完全に無理で、口にできるものは100%オレンジジュースと凍らせたこんにゃくゼリーのみ。

 

しかもジュースはスーパーのプライベートブランドとかだと香料がきつくて飲めず、トロピカーナとかDollしか飲めませんでした。

 

7週目から10週目くらいまではそんな感じに体重が2キロ近く減りましたね…。

 

個人の産院で、なるべく自然な形の出産を目指すところだったので、点滴などの処置は受けませんでした。

 

年末にやっと冷や飯にお気に入りのポン酢をかけたものなら食べれるようになり、体重の減少が止まりました。

 

しかしそこからなかなか食べられるものが増えず、結局安定期に入る2月中旬までつわりは続きました。

 

 

妊活と妊娠発覚に至るまで

 

私と旦那は同い年で、結婚したのは22歳の時。

 

浪人している私はまだ大学生だったのですが、諸々事情があって早めに入籍しました。

 

その辺は機会があればまた書くとして…。

 

大学を卒業した後は介護職として働いていて、本当は3年くらい働いてある程度貯金ができたら妊活しようかなんて話をしていました。

 

子育てをしたい地域も決まっていたので、時々物件探しをしていたのですが、

 

新卒1年半でまさかの物件購入となりました。

 

といっても、専門学校出身の旦那はこの時点で社会人4年目だから普通にローン組めたんですけどね(笑)。

 

狙っていた小中学校の学区、閑静な住宅街、ローン予算内の金額の割に多い部屋と収納!

 

トントン拍子に話が進んでいった結果、旦那が私に言ったのが

 

「よし!子供作ろう!」

 

引っ越すとなると、今勤めている所は遠いし転職しなくちゃなぁ…と考えていたので

 

「妊活するのはいいけど条件を決めよう」

 

と提案しました。

 

  • 子どもは暖かい時期に生みたいので、妊活時期もそれに合わせる
  • 退職後、失業保険の期間は妊活するけど、就職が決まり次第中断
  • 基礎体温の測定など、私の負担になるようなことはしない
 
という決まりを設け、妊活を始めたのが9月。
 
結果、1か月で着床。
 
私も旦那もびっくりでした…。
 
10月末頃から、妙に体がだるかったり朝吐き気がしたりといった症状はあったのですが、職場がブラックで、退職を申し出てからイジメのようなこともあったのでストレスが原因だと思ってました。
 
11月後半の有給消化に入っても、症状が改善されなかったので「あれっ?」と思い、知り合いに紹介してもらった産婦人科に行くと
 
「着床してるけど心拍がまだ確認できないからおめでとうってまだ言えないね~。
今5週目だから再来週くらいに確認しようか」
 
と言われました。
 
その時に、心拍を確認するまで母子手帳が交付できないことを初めて知りました。
 
しかし再来週と言われても、その頃には引っ越してしまうため、それまでに妊娠の認定をしてもらって引っ越し先に近い産婦人科に紹介状を書いてもらわねば。
 
お医者さんにその旨を伝えて、6週目で認定してもらい、紹介状を書いてもらいました。
 
それが引っ越しの前日。
 
11月末に退職、12月1日に引っ越しだったため、結局一切転職活動はしませんでした。
 
もちろん引っ越しは業者と旦那に任せ…と言いたいところですが、引っ越し先が車で1時間ちょっとの距離だったため、まさかの引っ越し業者を使わず自力で荷物を運びました。
 
とはいえ重いものは全部旦那任せ。私は新居での荷解きが主な作業でした。
 
まだつわりも本格的には始まっていなかったため、旧居の退去日までには二人でなんとか荷物を運び出し、一旦引っ越し作業はなんとかなりました。
 

毒親育ちの子育て日記

はじめまして、Annaと申します。

 

ネグレクト気味で、親とのコミュニケーションがほとんどなかった旦那と、暴力こそ振るわれなかったものの、食事やお風呂を制限されたり言葉の暴力の多い親に育てられた私。

 

そんな二人が夫婦になって子どもを育てています。

 

周りの人に助けられながら日々奮闘していることを書いていきたいと思います。

 

書き溜めた記事を投稿したり、その日にあったことを突発的に書いたりしているので、時系列がむちゃくちゃになると思いますが、ご了承ください。