毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ち(夫婦の)妻の子育て日記です。

夫と話すといつもこうなるという話

 

 

 

 

 

日々話し合いを重ね、上手くいったと思うときもないわけではないですけど、お互いのコンディションが悪い時はだいたいこうなります。

 

いや、私のコンディションが悪くて夫のケアができない時、と言った方が正しいかもしれません。

 

夫は甘えたい気持ちをずっと抑圧してきたことは自覚していて、とても甘えたがりなのですが、ずっと甘えられてばかりだと私も辛く、またナノさんが生まれてからは夫のケアにまで手が回らないこともあって自分の気持ちは自分でなんとかするためにセルフケアを頑張ってほしいと前に夫に伝えています。

夫も頑張ってくれていて同棲し始めた頃や、結婚した頃に比べて格段にセルフケアができるようになりましたが、やはり日々のちょっとしたケアを私任せにしている節はあって、それができない時は一気に気持ちがマイナスに傾いてしまいます。

 

正直、いい大人が自分の機嫌もコントロールできないのかと嫌になってしまうことが多いのですが、夫が両親に対して持っている不信感を知っているので無碍にもできません。

 

私がこれ以上突き放してもいい方向には向かないのは目に見えているので、夫の成長をゆっくりと見守るしかないのかな、と思います。

毒親育ちは大人になってから金がかかる

 

なんのお金がかかるかというと自分の体のメンテナンスにですかね。

 

私も夫も、けっこう虫歯があるんですけど親にはほぼ歯医者に連れて行ってもらったことがありません。夫は「歯医者に行ったことがマジでなかった」と言っており、私も親知らずを抜きに行った時ぐらいしか行ってないです。

 

なので大人になってから治療を始めたので結構ボロボロです。夫にいたっては1箇所乳歯のままであることが発覚しました。

 

歯医者は唯一に近い保険がきく予防医療なので、本来であれば虫歯になる前にメンテナンスとして通うのが一番のはずですが、親に連れて行ってもらったことのない私たちは、大人になるまでその観点が全くありませんでした。

 

ナノさんには絶対歯を大事にしてもらいたいので、乳歯の1本目が生え出してから定期的に歯医者に通っています。

 

他にも、夫やどうやら食物アレルギーがありそうな感じなのですが、人生で一度もアレルギー検査をしていません。なぜアレルギーがありそうと思ったかといいいますと、夫の二の腕や太ももには無数の発疹の痕があるんです。

 

ここ数年、スキンケアをするようにしてもらってからだいぶマシにはなってきたのですが、知らない人が見れば何か皮膚の病気なのではないかと疑われるような見た目をまだしているので、夫は夏でも基本的に長袖の羽織り物を着ています。

 

この発疹、外食やパン、パスタなどが多いと増えたりするので小麦か乳製品のアレルギーっぽいんですよね。他にわかりやすい症状があるわけではないのもあって夫はアレルギー検査に行ってくれないんですが、正直1回検査してほしいと思っています。

 

私の場合は他の記事にも少し書きましたがのどです。扁桃腺が大きいままほっておかれたので、体調不良はすぐにのどにきます。最近は不調を感じるとすぐに耳鼻科へ行くようにしているのでだいぶ悪化はしにくくなりましたが、診察代と薬代で毎回3000~5000円はかかります。

 

あと、体のこと以外だと奨学金の返済もありますし、ナノさんのイベントごととかももちろん一切支援がないので夫婦で資金準備します。ほとんど夫が出しますが、私もライターしたりポスティングで微々たる額ですが稼いで出しています。

 

 

 

 

食事と料理と私の話③

前回の話

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高校生になると、郵便局の年末年始の短期バイトをしたり、学校から派遣されて行く有償ボランティアに登録したりして、ある程度の収入を得ることができたので、給食がなくても飢えることはありませんでした。しかし、朝ごはんはもちろん、晩ごはんも用意されていないことはよくあったので、食事量は足りず、体の成長は小学5年生時で151cm40kg、中学2年生で153cm46kg 、身長はここで完全にストップしました。妹2人も私より身長低いので、遺伝もあるかとは思いますが、小学校時はそれなりに高身長だったのが中学でどんどん周りに抜かされ、高校に入ると前から3人以内とかになったのはわりとショックでした。

 

高校を卒業して一浪し、大学に入るのですが、浪人時代に某牛丼チェーンでアルバイトを始めました。従業員割引で食べられるし、給料明細には毎回無料券がついてきたので、10年ぶりぐらいに飢えない生活がここからできるようになりました。ここから大学2年で実家を飛び出すまで、バイト先が私の食生活を支えてくれたといっても過言ではありません。

 

大学2年のGWに当時付き合っていた現在の夫と父方の祖母のサポートを受け、実家を飛び出すと一人暮らしが始まりました。また別記事でここらへんの話は詳しく書くつもりですが、大学近くの店舗に再登録してもらって牛丼屋バイトをしばらく続け、コンビニの早朝バイトもかけもちすることとなりました。

 

自炊して生活費を切り詰めながらも毎日3食自分の意思で食べられることに感謝する日々でした。

私の体調不良はいつものどにくる

 

ここ数日なんだかのどがいがらっぽいなあと思って、うがい液をつかってこまめにうがいをしていたのにがっつり悪化してしまい、慌てて耳鼻科に行くと、溶連菌でした。

 

実は昨年も溶連菌にかかっており、ナノさんも卒乳していたので、先生が「いつもの扁桃腺の風邪と違って薬飲んだらすぐ痛みひくよ!」とサムズアップされて薬を処方してもらってました。セフカペンピポキシル塩酸塩錠というのを、出してもらっているのですが、溶連菌の時は本当にすぐ効きます、1回飲むごとにどんどん痛みがひいていく感じ。扁桃腺の風邪の時も同じ薬を処方されたりするのですが、その時はじわじわ治っていくので、「痛みがましになってきかな?」と思うまで大抵3日以上かかるイメージです。だいたい毎回7日分処方されるので、もちろん毎回しっかり飲みきっています。

 

私は生まれつき扁桃腺が人より少し大きく、乳児の頃に手術も勧められたそうです。両親が手術を渋ったらしく、そのまま放置していたので、健康診断では毎回「扁桃腺肥大」と書かれてひっかかり再検査をしていました。体調を崩すと毎回のどが腫れ、ひどい時には声も出なくなるほどでした。

 

成長とともにいくぶんかましにはなってきましたが、今でも体調不良はすぐのどにきますし、産後最初に体調崩した時もがっつり扁桃腺が腫れました。

 

耳鼻科にお世話になる頻度自体は減ってきているので、今のところ手術は考えていませんが、2人目妊娠・出産についてめどが立ったら、夫や耳鼻科の先生に相談はしてみようかと思っています。

 

あ、ちなみに私は産後3回溶連菌にかかっていますが、ナノさんはなんと1度もかかっておりません!脅威の免疫力!それとも私が弱いだけ…?

 

理不尽な姉妹格差の話②

前回の話

anna718.hatenadiary.jp

 

 

 

理不尽な姉妹格差は祖父母と離れて暮らすようになってからも続きました。

 

とはいえ収入も減り、住宅ローンも抱えたこともあってか、私のイベントに妹も乗っかるということはなくなり、私の誕生日などがグレードダウンしました。小学2年のクリスマス以降、ハリー・ポッターの新刊が出た時に買ってもらう以外のプレゼントは滅多になくなりました。小学6年のときにCDコンポを買ってもらったのが最後だと思います。中学以降はプレゼントもらってません(妹Mは私が知る限り高校卒業してもなんやかんやとプレゼントはあった)。

 

私がピアノを習い始めた2年後、妹Mが同じように習うことになったのですが、私がいくら頼んでも練習環境を整えてくれなかったのに、妹が習い始めた1週間後、キーボードが我が家にやってきてそれは当たり前のように妹の部屋に運び込まれました。妹はピアノがやりたかったわけではなく「姉ちゃんだけやってるのずるい」という理由で始めたのに、なぜ真剣にやっている私の練習環境は整えてもらえないのに妹は自分の部屋で好きなだけ練習できるんだろうと初めて妹が憎くなったことを覚えています。

 

 

そしてもうひとつ、妹Mが憎く感じてしまった事件があります。

 

私が小学5年のときのゴールデンウィークに、某遊園地へ家族と遊びに行きました。三女Nがコップ飲みできるようになってすぐだったので、可愛いコップを見つけたら買ってあげる約束をNとしていて、お土産屋さんで小さなピンクのコップをお小遣いで買ってあげたりして楽しく過ごしていました。

 

しばらくアトラクションで遊んでいたのですが、室内迷路のアトラクションで、ゴールした人にランダムでプレゼントが当たるという企画をやっており、1等が可愛い豚のぬいぐるみでした。それをみた次女Mが「あれほしい!」と言い出したのです。

 

しばらく家族全員でアトラクションを周回するもなかなか簡単には当たりません。そのうち飽きた次女Mが違うアトラクションに行きたがり、両親はそれについて行くため私は三女Nを抱えて一人周回することに。

 

もちろんなかなか当たらず、半泣きで周回し続け、受付のスタッフさんに「機械でランダムになってるから自分たちはなにもできへんねん、ごめんね」と謝られるしまつ。お昼を過ぎても当たらず夕方4時を過ぎてやっと1等を引くことができた時には人目をはばからず号泣しました。

 

もちろんゲットしたぬいぐるみは次女Mのものとなり、私が感謝されることもありませんでした。

理不尽な姉妹格差の話①

私と次女Mは2歳差の姉妹です。なので私はものごころついた頃には「姉」で、両親には名前ではなく「お姉ちゃん」と呼ばれていました。

 

同居していた祖父母が初孫である私をとても可愛がってくれていたのですが、それが面白くなかった両親は祖父母に対抗するかのように次女Mを可愛がっていたのかもしれません。

 

私の誕生日にはなぜかMの分までプレゼントが用意され、ひどい時にはケーキのろうそくを吹き消すのもM。七五三の写真も私と同じように着物を着たMとのツーショットばかり。

 

食べ物や洋服を選ぶ時も常にMが優先で、いつも私はMが選んだ後でした。

 

常にそんな状態なので、Mは私に対してやりたい放題言い放題。すいかを食べるときは、三角に切ってあるてっぺんの甘いところだけをかじって残りは私に押し付けてきたり、ケーキは上のフルーツやチョコだけを食べる。バナナはシールがついている1本だけしか食べず、まだ家にバナナがあるのに「シールのあるやつが食べたい!」と駄々をこねるので残りのバナナを私が食べて親が新しいバナナを買ってきたり。もちろんシールのついていないものは私に押し付けられます。そのせいかいまだにバナナは苦手です。

 

祖父母も軽くいさめることはあってもなぜか止めることはなく(一度だけMがいちごの粒をとってほしいと言った時、あまりの面倒くささに祖母がブチ切れたことはありました)、たいがいのわがままは通ってしまう状態でした。

 

今思うと、祖父も祖母も兄姉がいる弟妹で、妹の気持ちに寄り添ってしまっていた面が大きかったのかもしれません。

「生理の貧困」私の場合

「生理の貧困」がしばらく前から議論されていますね。

 

私も学生時代生理に関する様々なことに悩んできたので、こうやって取りざたされて自治体や学校が動いてくれていることがとても嬉しいです。

 

私の初潮は小学6年生の時でした。夏休みに教会学校のキャンプに参加していたときにきてしまい、半泣きになりながら女性の先生に相談すると、すぐにナプキンを用意してくだり、つけ方を教えてもらいました。そして、家にも連絡してくださったみたいで、帰宅してすぐ母に連れられてサニタリーショーツを買いに行きました。買い物中、母は何も教えてくれなかったのでとりあえずサイズだけ見て選びました。キャンプ中になってしまった時は「最悪だ…」と思いましたが、自宅でもしなってしまっていたらきっとナプキンのつけ方もわからず困り果てていたと思うので不幸中の幸いでした。

 

私は1~3日目までの経血量がとても多く、加えて中学では体育系の部活に所属していたのもあって、羽つきの多い日タイプのものじゃないとすぐもれてしまっていました。

 

しかし、羽つきはなしのものより割高で、なおかつ家族で羽つきが必要なのが私だけなのもあってなかなか買ってもらえず、あまりに量が多い時はティッシュやトイレットペーパーで横をおさえることもありました。

 

一度親に「羽つきのものを買ってほしい」と頼んだのですが、「これ使ったらええやん」となぜかタンポンを渡され、頑張ってみたもののうまく装着できずその旨を伝えると「せっかく買ったのに無駄になった」と怒られました。

 

 

痛みは2日目が一番きつく、うずくまって動けなくなるときもあったのですが、高校を卒業してアルバイトを始めるまで鎮痛剤はほとんど飲んだことがありませんでした。