毒親育ちの子育て日記 nano's diary

毒親育ち(夫婦の)妻の子育て日記です。

思春期に私をささえてくれた親以外の大人たち ②M先生

親の言うことが聞き流せず、かといって全部従えるわけでもない。収入もなく自由もない中学生の時は、今思うとかなりのストレスを抱えていたと思います。

 

そんな中学生の私でしたが、家族以外の周りの大人には恵まれていた時期でもありました。

  • 中学1年の時の担任 K先生
  • 9歳から20歳まで通ったピアノ教室のM先生
  • 放課後市立図書館に入り浸っている時、話を聞いてくれたり、色んな本をすすめてくれた司書さんたち

 

母性父性どちらにも飢えていた私が変にいじけて道を踏み外さなかったのは、多感な時期、この人達にたくさん甘えさせてもらったからだと思っています。

 

前回の話

anna718.hatenadiary.jp

 

 

M先生

 

M先生のピアノ教室に通うことになったきっかけは、近所の同級生でした。

家が近所の同い年で唯一の女の子がピアノを習い始めたと聞き、前々からピアノを習いたかった私は、その子に頼み込んで一緒に連れて行ってもらいました。

それがきっかけだったので、最初の1年ほどはその子と一緒に通い、その子のお母さんに送り迎えをしてもらってました。

 

M先生はものすごく優しい女性の先生です。おっとりした外見と話し方なのに、ピアノを弾く手はとても力強く、生栗をニコニコと素手で剥ける怪力の持ち主です(笑)。

練習して行くとめちゃくちゃ褒めてもらえ、練習してなくても教室へ弾きに来たことを褒めてくれるような先生で、私の自己肯定感はM先生が作ってくださったといっても過言ではないです。

 

また、習い始めて1年以上たっても、家での練習環境を整えてもらえない私を心配し、自宅のピアノの処分を考えいてる方を紹介してくださり、結果的にタダで古いアップライトピアノをその方に譲っていただきました。ちなみにそれまでは祖母の古いオルガン(電源いれて起動までに3分くらいかかるしやたらエコーかかってうるさい)で練習してました。

 

中学生になってからは少し遅い時間にレッスンへ行くようになり、その日最後の生徒になることが多くなったせいか

「部活もしてきてお腹空いたでしょ~」

とおやつとお茶をいただくこともありました(しかも普通にケーキとか出てくる)。

おやつを食べながらM先生に色んな楽理の話や作曲家の話、当時ドラマをやってたのだめの話などを聞かせてもらう時間がとても好きでした。

 

また、同じ曲を奏者や指揮者が違うバージョンをたくさん聴き比べさせてもらえたのも貴重な経験でした(しかもスピーカーがめっちゃ良いやつ)。

 

「ピアノを弾く」ということに固執せず「音楽を楽しみ、人生に音楽が共にあってほしい」ということに重きを置く先生だったので、50分のレッスンでピアノ弾いてるのは10分だけで、あとはずっとCD聴いたり楽理の話したりしている時もあって、私にとってはすごく贅沢な、音楽の日々でした。

 

実家を飛び出したとき、まだ妹たちも習っているため親が先生に詰め寄る危険性があったので、実家を出ること、レッスンが続けられなくなることを伝えられなかったことをとても後悔しています。コロナが落ち着いたら、ナノさんと一緒に挨拶へ行こうと思っています。